デリーから電車で5時間ほどかかり、ジャイプールに到着した。ここは「ピンクシティ」の異名を持つ街で、旧市街に入ると文字どおり、ピンク色の建物が出迎えてくれる。普段、建物の色として認識していないピンクに包まれ、一瞬、現実か幻想か、わからなくなる。
早朝にもかかわらず街は活気に溢れ、チャイを売る屋台がその日の商売をすでに始めている。朝食を食べていなかった私は、ひとまず甘いものをと思い、一軒のチャイ屋の前で足を止めた。「チャイを一つお願いします」 無愛想な店主は小さく頷き、「そこで待っていなさい」とでも言うようにクイっと顎を動かし、店の前に置かれていた薄汚いベンチを示した。
ベンチ周辺では、数名の人がチャイの出来上がりを待っている。みんなが、観光客の私を珍しそうにジロジロと眺める。インド滞在も1週間になると、そのような不躾な視線にもすっかり慣れてしまった。一度だけにっこりと微笑み、その後は気にもしない。
チャイは厚手の透明なグラスに入っていた。その場で飲んで、飲み終わったらグラスを返す。ベンチの端に腰掛け、熱々のチャイをゆっくりと啜った。甘すぎるほどのチャイはスパイスがしっかりと効いていて、長距離を移動してきた体にしみいる。おもむろに、隣に座っていたおじさんが私のほうへ、なにやら包みを差し出した。
見ると、ナスのパコラだった。パコラとは天ぷらのような軽食で、季節の野菜にひよこ豆の粉やスパイスなどの衣をまとわせて揚げたもの。インドの屋台ではよく見かける。「ほれ」というように、包みを動かしている。「サンキュー」と言いながら、そのうちの一つを掴んだ。揚げたてらしく、衣が香ばしい。
おじさんは左隣の人にもパコラを勧め、空になった包みをくしゃっと丸めてその辺に投げ捨てた。そして、タバコをふかしながらゆっくりと立ち去った。さっきまでパコラが包まれていた紙は一瞬でゴミと化し、私もパコラの一つを食べたために、まるで自分がゴミを捨ててしまったかのような罪悪感を覚えた。
ホテルに一旦荷物を預け、その足で旧市街のバザールへと向かう。ひしめき合う小さな店をひやかしながらずいぶんと歩き、刺繍が施された小さい布のバッグと、指輪を一つ買い求めた。気に入った指輪には偶然にも淡いピンク色の石が嵌め込まれており、ジャイプールのよい記念になるだろう、と思った。さっそく右手の人差し指にはめ、残りの旅を無事に過ごせるようにと小さく祈る。
バザールから出ると、眩しい日差しにくらっとする。今日も暑くなりそうだ。一台のリクシャーをつかまえ、「おすすめの食堂へ連れて行ってほしい。できれば近くの」と告げる。運転手はとても驚いた様子だったが、しばらく考えたのち、黙ってリクシャーを走らせた。
店には5分ほどで到着した。汚い食堂でも仕方ないと覚悟していたものの、想像していたよりもこぎれいな店だった。昼前だというのに、すでに地元の人で賑わっている。これは期待できそうだ。店内にはスパイスの匂いが充満し、あぁ、インドにいるんだな、と実感する。
メニューの中からほうれん草とチーズのカレー、ラッシーを選んで注文した。誰もが右手を使い、器用に皿の上の料理を口へと運んでいる。パラパラの米とおかずを一緒くたにし、練りこむようにしてひとまとめにする。その指の巧みな動きにしばらく見とれていると、注文したものが運ばれてきた。「スプーンはいるか?」と言われ、念のために「お願いします」と伝える。
郷に行っては郷に従え。私も手で食べてみるが、なかなかに難しい。熱い米と冷たいおかず、一緒に盛られたヨーグルトなどを混ぜることで温度を調節し、4本指を使ってなんとか口に運ぶ。手で食べるという行為を体験すると、はたしてDNAに組み込まれていたのだろうか、原始の記憶が蘇ってくるような気がする。指が唇に触れたとき、自分の体に別のイノチを取り込んでいるのだと、切に感じた。
テーブルの上のフィンガーボールで指をさっとすすぎ、食後にさっぱりとしたラッシーを飲んだ。会計を済ませて店を出るとき、レジの前に置いてあったカラフルなスイートフェンネルを少し取って口に入れた。それはフェンネルシードに砂糖をコーティングしたもので、インドではマウスウォッシュ的な存在。噛むと、歯磨きをしたあとのような清涼感が得られる。
その後、夕暮れまであてもなく旧市街をうろつき、くたくたに疲れてホテルへと戻った。ホテルの窓から見える街の灯りは美しく、いつまでも眺めていたいと思ったけれど、あまりにも疲れていたため窓を開け放したまま、気づいたら眠りに落ちていた。(R)