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「ちゃんぽん」

地元で行列ができる店が、ひとつだけある。ほかに行列なんてまるで見かけない海辺の小さな町では、それは異様な光景だ。お世辞にもきれいとはいえない、古びたちゃんぽん屋の前には、平日も週末も人が並んでいる。駐車場には県外ナンバーの車がちらほら混じり、昔、アナウンサーの安住紳一郎さんがわざわざ食べにきたこともあると、誰かが話していた。



メニューは潔く、ちゃんぽんひとつだけ。九州のちゃんぽんといえば豚骨が多いけれど、この店のちゃんぽんは醤油味。豚肉ではなく鶏肉が入っているのも、ほかとは違う。小学生の頃から食べているその味が、わたしのちゃんぽんの原点になっている。



しばらく前、店をやっていたご主人が病気で亡くなった。店の前には「しばらく休みます」と書かれた札がかかり、そのまま季節がいくつも過ぎた。息子さんは長崎の中華料理の名店で修行中だというけれど、この町に戻って店を継ぐ気はないらしいと、噂で聞いた。田舎で商売をしながら生きていくことの大変さは十分すぎるくらいわかっているものの、あの味が消えてしまうのかと思うと、とてもさみしかった。




2年ほど前、母が「店が再開したよ」と教えてくれた。高齢の奥さんが一人で、店を開けることにしたらしい。週に3日だけの営業で、うち1日は「地元の人の日」。心躍らせて帰省し、電話で注文しておいて受け取りに行く。うちはいつも、ちゃんぽんを家で食べる。出前用のおかもちに入れられた熱々の丼を取り出し、ぴんと張ったラップを剥がす瞬間がたまらない。



「そうそう、この味なんだよね」。しばらく食べていなかったというのに、味は記憶の中でずっと待っていたかのように、ひょいと顔を出す。なぜか思い出すのは、夏の日曜日の昼。扇風機の前で汗をかきかきちゃんぽんを啜る、父や母、弟の顔。テレビではNHKのど自慢が流れている。歌を聴きながら、「お父さんのほうがうまいけどなぁ。今度出てみようかな」と言っていた父は、もういない。



食べ終えた器は洗っておかもちに戻し、店の裏口前に置いておくのが決まりだった。子どもながら、「早く器を返さないと、お店の人が困ってしまう」なんて、ひとりそわそわしていた。



食べものの好みは、いつのまにかできてしまう。母の料理や、子どもの頃によく食べたものの記憶が、積み重なっていく。ちょっとやそっとのことでは、上書きされない。これからも、わたしのなかの「ベストちゃんぽん」は、あの店のもの。だけど、それをあっさり覆してしまうようなちゃんぽんに、いつか出会ってみたい気もしている。


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