top of page

ヤマザキ

実家のある町には、私が高校生の頃まで「ヤマザキ」があった。そう、ヤマザキパンのチェーン店、いまでいうところのコンビニみたいな小店で、パンはもちろん、ケーキやホットショーケースに入った肉まん・餡まんなども売られていた。


高校へ通うバス停のすぐ近くにあったこともあり、よく店に足を運んだ。部活を終えて最終のバスに乗ると、最寄りのバス停に着くのがだいたい19時50分頃。店は19時に閉店だったので、部活がない日にだけ間に合う。19時前にバス停に到着した日には、バスを降りて徒歩20秒ほどの店へ。


バスケットボール部で走り回っていた私はいつも小腹が空いていて、家にたどり着くまでに少しでも空腹を満たしたいと、よくパンを買っていた。特に寒い日に食べる熱々の肉まんは格別で、家まで歩く15分ほどの間に、手がほんの少しだけ温まる。付属の甘いタレや辛子は使わないのでもらわない。三角の薄っぺらい紙に包まれた肉まんを1個食べたところで、夕飯が入らないなんて心配はしなくてよかった。


ヤマザキでの楽しみは「春のパンまつり」でもらえる白いお皿だった。店の商品を買うとシールがもらえ(たしか、パン以外の商品でももらえたような記憶があるのだけど)、台紙にシールを貼っていく。台紙がいっぱいになると、お皿と交換してもらえる。


毎年白いお皿だけど、デザインが微妙に変わる。花びらのような縁のお皿だったり、少し深さのあるスープ皿だったり。毎年必ず1枚はもらっていた。実家にはいまでも、ヤマザキでもらったお皿が2枚残っている。


店の奥には買ったものを食べられるちょっとしたスペースがあり、プラスチック製の白いテーブルとイス(庭に置いてあるようなやつ)が置いてあった。そして、そこにはいつも誰かが腰掛け、店の陽気なおばちゃんと世間話をしていた。おばちゃんは私が買い物に行くたびに、「そろそろ期末試験やろ?」「部活がんばりよるね!」と声をかけてくれた。


レジの横には大きな冷蔵ショーケースがあり、たくさんの種類のケーキが並んでいた。家族の誕生日には必ずヤマザキに行き、それぞれが好きなケーキを選ぶ。チーズケーキにチョコレートケーキ、シュークリーム、ロールケーキ。ケーキの底はペラペラの銀紙に包まれていて、持ち手のついた白い箱に入れてくれる。家まではすぐだったのに、必ず小さな保冷剤を入れてくれた。


12月になると、ヤマザキの店内にはクリスマスソングが流れ、クリスマスケーキのポスターが貼られる。もちろん、ヤマザキのケーキだ。我が家は毎年、サンタの砂糖菓子がのったホールケーキを注文した。真っ白な生クリームに真っ赤なイチゴが飾られた王道のケーキ。家族4人で1切れずつ食べて、翌日にもう1切れ食べられるサイズをいつもねだっていた。


いつだったか、おばちゃんが「最近はチョコレートケーキも人気なんよ」と教えてくれたけど、母と私は迷うことなく、白いクリームのケーキを注文した。12月25日は朝からそわそわした。冷蔵庫の中になんとかケーキの箱が入るスペースを確保し、夕飯前に受け取りに行く。店に行くとカウンターの後ろにケーキの箱がずらっと並んでいて、それぞれに名前が貼ってある。知っている名前もいくつかあり、「クリスマスにはやっぱりみんな、ヤマザキのケーキなんだな」と思った。


その後、私は大学に進学し、地元を離れた。地元を離れて2度目の夏、帰省したらヤマザキがなくなっていた。周りの小店も次々にシャッターを降ろしていくなか、ちょっと離れたところに町で初めてのコンビニができた。みんなコンビニができたことに浮き立っていたようだ。


小店の商品の値段は少し割高で、たいてい、みんなちょっと大きめのスーパーに買い物に行く。そんなこともあってか客足が遠のき、ヤマザキも閉めざるをえなかったのだろう。地元に帰省し、ヤマザキがあった通りを車で通ると、いまでも少しだけさびしく感じる。肉まんやクリスマスケーキはコンビニでだって買えるけれど、あの店の独特な、親密な空気はコンビニにはない。

最新記事

すべて表示

オックスフォードで暮らした家

1年間だけ滞在したオックスフォードでは、半年間、戸建のシェアハウスで暮らした。ほかのメンバーはすでに2年ほど一緒に暮らしており、1名空きが出たところへ私が入居することになった。イギリス人のEvaとSteve、ドイツ人のRyanが暮らす家へ。...

オックスフォードという街

オックスフォードは思ったよりもこじんまりとした、のどかな街だった。ハリーポッターが日本でもブームになった数年後、1年間暮らした。 シティセンターと呼ばれる中心街には大型スーパーや郵便局、銀行、小さな路面店などがギュッと集まっている。生活に必要なものはなんでも揃う。かの有名な...

クラクフのペンパル

中学生の頃、毎月のように買っていた雑誌には、時々「ペンパル協会(みたいな名前だったと思う)」の案内が掲載されていた。協会の事務所へハガキを出して会員になると、毎月、海外のペンパルの住所が掲載された一覧表が自宅へ送られてくるという仕組みだった。...

bottom of page