もう10年以上も前、義父がまだ生きていた頃、長野にあったお墓を東京に移した。
長野のお墓には、夫の兄が入っていた。産まれて2週間で亡くなった兄。
父と母は長い間、月命日には庭の花を摘んで甘いお饅頭を買い、墓までの急な坂を上ってお参りを続けた。
毎月毎月、40年以上もずっと。
長野では骨は壷に入れず、墓下の土にじかに撒くらしい。
墓の蓋を開けると、30cmくらいの深さの空洞があって、その奥の土の上、骨と思われる白いものがわずかに散らばっていた。
産まれたばかりだったのだ。骨だって少ししか残らなかったろう。
父と母と、夫とわたしと、4人で順番に穴に手を伸ばしながら、そのわずかな骨を土ごと手ですくって骨壷にいれた。
表面の土を集めたら、あっと言う間に骨らしきものは見当たらなくなったけれど、それでも父はいつまでも土をかき集めていた。ひとかけらも忘れて行かないようにずっと集めていた。
そして泣いていた。
結局、用意した小さな骨壷には入りきらず、はみ出した山盛りの土とわずかに混ざった骨を真っ白な布きれに包んで、夫とわたしはそれらを抱えて東京に戻り、真新しい墓に納骨した。
あの時の父を思い出すと、悲しみの記憶というのは、なんてしつこいものなんだろうと思う。
その一方でいま、父と結婚していたことや、夫を産んだことさえも忘れかけている母を見ると、記憶なんてものはあっけないもんだなぁと思う。
夕暮れを手を繋いで歩く夫と母を見ながら、ただそんなふうに思う。2017冬(C)